プラトニックな関係は、もう卒業、したいんだけど。
『好きだ』
それはもう半年以上も前のこと。
夏の終わりの夕暮れに、海に向かって力の限り叫んだ自分と、隣で少し頬を染め、ややあってゆっくり頷いた桂と。
想いは通じたはずだけど、きりりと凛々しい瞳に声にいつもどこか気後れし、強引に奪うことも押し倒すこともできないまま、未だ友人同然の関係で現在に至る。
桂の傍にはいつも目つきの悪い幼馴染がいて、桂はそいつの勉強を看るのにかかりっきりになっていたし、自分は自分で大抵剣道部の連中に囲まれていたから、学校で二人になれることなどまずないと言ってよかった。
ただ一度だけ、陽の傾いた放課後の教室で、二人きりになったことがある。
普段触れられない反動もあり、そこが教室だということも忘れて桂の腕を抱き寄せて、その口唇を奪おうとした、けれど。
『今俺達のなすべきことは、そんなことではないだろう』。参考書片手にすげなく言われ、文字通り玉砕。
このときほど受験生の身分を呪ったことはなかった。
そして、春がやってくる。
卒業までにキス、したかった。どうしても。
「桂。話がある」
卒業式前の登校日。昼までで終わった授業の後、桂が帰ってしまう前に意を決して声をかけ、半ば強引に腕を引き学校の裏の丘まで連れて来た。桂はどこかきょとんとした表情で、それでも俺に引かれるままについてくる。
丘の上まで登り、少し乱れた息を整え、意を決した俺は改めて桂に向き直った。
「...桂、」
名を呼ぶ声は、少し掠れてしまう。顔を上げると黒い瞳がこちらをまっすぐ見つめていて、俺は思わず視線を宙に泳がせた。
二人きりという状況と、これから自分がしようとすることと、あまりの鼓動の高鳴りに、もはや桂を正視できない。それでも想いは募るばかり。ああ、くそったれ。
覚悟を決めた俺は桂から一歩離れ、ごくりと喉を湿らせて、力の限り、空に叫んだ。
好きだ、好きなんだ。大好きだ。
全身全霊で想いを吐き出し、その勢いで細い身体にがばりと抱き付く。ふわり、髪の匂いが揺れた。
どこかで鳥の鳴く声と、まだ少し冷たい風、やわらかく射す太陽。
しばし沈黙が続き、少し不安になって腕の力を緩めると、桂の真摯な表情と視線がぶつかった。
「土方、」
桂は抱きつかれたまま、そっと口を開く。ドキン、心臓が鳴った。
桂はしばし俺を見つめ、やがて信じ難い言葉を紡いだ。
「貴様が海と空が好きなのは分かった。だが、俺に抱きついてどうする」
そう言う表情は、しごく真面目。
土方は世界が足元から崩れ落ちるような感覚に襲われた。
(あああああそうか...夏の告白からしてまっっったく伝わっていなかったのか...)
好きだと叫んだからと言って、一体どこの世界に海や空に告白をする人間がいるというのか。桂の感覚がどこか普通と違っていることは分かっていたが、甘かった。
この半年の自分の悶々は一体全体何だったのだろう、泣きたい気持ちになりながらチラリと桂を見遣ると、こちらを心配げに覗く視線とぶつかった。
「土方?」
小首を傾げたその幼い仕草、それでいて知的な切れ長の瞳、品のある顔立ち。そしてその外観からは想像もつかないような強い精神力に頑固な性格。
ああやっぱり好きだ、切なく苦しくなりながら土方はそう思う。
入学当時はぶつかることも多かったけど、3年が過ぎ、気付くと全てに惹かれていた。
海や空に叫ぶのではなく、桂に向かってちゃんと言わねば、伝わらない。
「どうした、気分でも悪いのか」
頭を抱えたまま固まっていた土方を怪訝に思い、桂が背中をさすろうとする。
「...いや...そうじゃねェ」
一度奈落に落ちて吹っ切れたのか、しっかりした口調で土方は桂のほうに向き直った。
「桂、」
両肩を抱き、初めてその瞳を正面から見つめる。今度こそ目を逸らさないように、気合を入れて。
緊張を落ち着けるように喉を鳴らし、ゆっくりゆっくり、顔を近づけて。
「俺はお前が、好き、なんだ。」
少し声が上擦ってしまったのは仕方ない。それでもその眼をまっすぐに見て、肩を抱く手に力を込める。桂の瞳が驚いたように見開いた。
そして初めて、くちびるを重ねようとした、そのとき。
カコーン、
ゴツン。
「痛ッ!」
土方の後頭部に勢いよく空き缶がぶつかり、口付けは寸でのところで阻止される。
「誰だ、チクショー!」
辺りを見回すと、丘の下に見知った黒い影。
「帰るぞ、小太郎」
地の底から響いてくるような声とともに、全身から不機嫌を滲ませた男がこちらに登ってきた。
「晋助、空き缶は蹴るなと言っているだろう!拾ってゴミ箱に入れろ」
「うるせェこのバカ!いいから帰るぞ」
「バカじゃない桂だ!あっコラ、空き缶をちゃんと拾え!」
「んなもんほっとけ!とにかく帰るぞ、いいな!」
嵐のような二人のやりとりにしばし茫然としていた土方だが、はっと我に返って桂を見る。そのときにはすでに高杉が桂の手首を掴み、丘を下ろうとしているところだった。
「すまんな土方、話はまた今度!こら晋助聞いているのか、空き缶はリサイクルのためにもだな」
「うるせェ、このバカ!バカコタ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いながら、桂の姿がどんどん遠くなっていく。
一人残された土方は、ゆっくりとその場に膝を付いた。
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